【何度も生き返る】ジェシー・リバモア【伝説の投機家】

投資の教科書

こんにちはインベスターDです!

皆さんはお金がなければ投資・トレードで財を成すことはできないと思っていませんか?

本日は貧しい家庭から数千億円もの財を成したジェシー・リバモア氏の生き方についてみていきましょう!

伝説の投機家・ジェシーリバモア

ジェシーリバモア

 ここがすごい

  •  相場分析力。感性。
  •  無一文から何度も這い上がる力
  •  ここぞでリスクを取り勝負に出る行動力

1877年~生誕・相場との出会い

マサチューセッツ農村部
リバモア氏の生誕の地・マサチューセッツ州シュルーズベリー

マサチューセッツ州シュルーズベリー、貧しい移民の家庭に産まれ、証券会社の黒板書きの仕事に携わりながら資金を溜めて株取引を始めるに至った。

14歳の時にボストンで株仲買店の小僧になる。生まれつき数理の才に恵まれたリバモアは、独自に相場変動の特性を探るようになっていた。

15歳のとき年上の同僚から差金決済取引の原型となる※バケット・ショップに誘われ、3ドル12セントを儲けた時から投機家へと足を踏み出すことになる。彼は『無鉄砲な少年相場師(boy plunger)』の異名が付くほどバケット・ショップを相手に勝ち続けた。

しかし、勝ちすぎたあまり、バケットショップを出入り禁止になる。
当時、このバケットショップで本業よりも上回る額を稼いでいたのだ。

証券会社の黒板
※店が客に、実際の株式の値動きに賭けさせる賭博
黒板に株価が手書きで書かれる。

20歳・1度目の破産

1897年、 元手2500ドル程(現在の780万円)でニューヨーク証券取引所に発注する実際の株取引を開始するが、6ヶ月足らずで破産する(1度目の破産)

原因は株価の表示(今でいうチャート)に30分から40分のタイムラグがあったため、自分のトレード(スキャルピング)ができなかったためである。
※バケットショップでは株価がリアルタイムで表示されていた。

この時リバモア氏は20歳の時であった。

若い時のリバモア氏は証拠金の仕組みを利用した短期売買(FX・CFDのようなもの)を繰り返し、元手を稼いでいた。

 小額から元手を作るなら短期売買が良い

 資金がいくらあろうが誤った取引を行えば破産する

24歳の時にバブル相場に出会う。

コットンの買い煽り
1901年、ジョン・モルガン氏が買い煽りを行い、バブル相場を生み出した。
ジョン・モルガン氏は世界最大の投資銀行の1つ・JPモルガンの創設者である。

1900年、ネティ・ジョーダンと1度目の結婚
1901年にリバモア氏はバブル相場に出会い、50,000ドル(1億円)ほどの資金を築く

リバモア氏のとって順風満帆な時期でもあった。

    When I should have made $20,000, I made $2,000
    20,000ドル稼ぐべきだった時に、私は2,000ドル稼いだ。

コツコツと稼いでいた時も彼にはあった。

パームビーチ

彼は決して相場付けの毎日を過ごしていたわけでなく、疲れたときはバカンスで気分転換をしていた。

再び大勝負へ。2度目の破産。

1906年、世界経済の情勢を分析して、この5万ドルを空売りに投じる。株価が下落するという読みは正しかったものの仕掛ける時期が早すぎたため、直後の株価の反騰の波に飲まれ、5月に2度目の破産。

 相場で大きく勝つには運も必要になる

妻・ネティのために購入した高額の宝石類を質入して投機につぎ込むという頼みを断られたことをきっかけに、夫婦仲は悪化し別居が始まった。

相場ファーストの人生を過ごしていたのですね・・!

1907年、2度の破産から立ち直り、100万ドル(現在の貨幣価値で200億円)の資産を保有するようになるが、「コットン・キング」の異名を持つパーシー・トーマスの勧めでコットン市場にも手を出すようになる。しかし1908年、コットン相場の大暴落で綿花の買い占めに失敗、莫大な負債を抱えることになる。

負債を抱えながら投機を続けることに限界を感じたリバモアは、債権者一人ひとりに「再起したら必ず負債は返す」と約束してまわった上で1915年2月18日、破産を申請、受理される(3度目の破産)。

破産が確定して精神的に開放されたリバモアは再び市場で勝ち始め、1917年に債権者達に負債を完済する。

 相場で勝つにはメンタル力を高める。改善する。

同年10月に長年別居していたネティと離婚。ショー・ガールだったドロシー・ウェントと出会って2度目の結婚。2児をもうける。

4000億円の利益を・・そして

暗黒の木曜日

1929年9月4日、世界恐慌の引き金となった暗黒の木曜日に向けた空売りを行ない、1億ドル(現在の貨幣価値で4000億円)以上の利益をあげる。

10月24日、リバモアは大量の売りポジションを持っており、もし彼がこのまま売り続ければNY市場は本当に崩壊しかねない状態であった(リバモアは売り買いが上手くいっている時にさらに積み増すピラミッディングを得意とした)。

ついにJ・P・モルガンがリバモアにわざわざ使いをよこし、市場を救済するため、これ以上の売りは行わないよう要請してきた。これを受け翌10月25日の朝、リバモアは猛然と買い戻しに入り、主要なあらゆる株をも買い捲る行動に出た。これをきっかけに市場の流れは変わり、暴騰相場が始まった。

1932年9月16日、不倫が元で別居していたドロシーと離婚。離婚後しばらくしてハリエット・メッツ・ノーブルと出会い、1933年3月28日に結婚。ハリエットの結婚は4度目であり、しかも彼女の前夫たちはみな自殺していた。

1934年3月5日、4度目の破産。

1940年3月、息子ジェシー・ジュニアの勧めから『How to Trade in Stocks』を著すが評判はいま一つであった。

同年11月28日、ニューヨークのホテルの一室で「どうしようもない。事態は悪くなるばかりだ。私は戦うのに疲れた。もう続けていけない。私にはこれしか方法がない。私は君の愛には値しない。私は失敗者だ。本当にすまないが私にはこれしか方法がないのだ」と書かれた遺書を妻に残し、ピストル自殺を遂げた。当時うつ病を患っていた。

彼が死に際して残した信託と現金は500万ドルにのぼっていた。愛すべき人にお金だけを残してこの世を去った。

リバモア氏のトレード手法

  •  取引する指数、銘柄は絞る
  •  投資資金の10%以上を失わないトレードをする
  •  チャートに逆らわない
  •  トレンドの転換期を見極める
  •  予想に反したらすぐにポジションを解消する
  •  分割エントリーはするが、ナンピンはしない
  •  他人の情報をあてにしないこと
  •  休む日を設ける

リバモア氏は若いころは短期売買で元手を作り、徐々にトレンドフォロー型の順張りトレードを主にしていった。
またトレードにおけるメンタル力についても非常に重要視していた。一見すると無謀なトレードばかりしている投機家なのではと思うかもしれないが、リバモア氏は常に冷静に相場を分析。観察し、値動きへ素直に対処していた。だからこそ無一文になっても這い上がることが何度もできたのだろう。

そしてリバモア氏が破産したのは決まって自身のトレードルールを破った時であった。


投機家の道を歩もう。